弓 教 道 場    範士八段  颯 手 規 仁 (さつて ただよし)
  滴  塾   ( て き じゅく )




      其の12         (2006.4.25)
見えて 見えないもの・・・
ビクトリア・フォールズ        
アフリカ・ジンバブエ側から

         
                                                               
 「鍛」十年。 「錬」十年という。

 「鍛錬」というのは、もともと金属を鍛えることであって、これをいうと、修養と訓練を積んで心身を鍛え、技能を磨く。とたとえている。

 「修練」というと、精神や技能を磨き鍛えること。「心身を修錬する」「修練を積む」ということになる。

 つぎに「稽古」となると、むかしの物事を考え調べることであって、古書を読み、物事を参考にして、理義を明かす、とある。武術や遊藝を習うことであって、これを「 ― 身につける」ことである。

 そこで、わたしたち「弓」をやっている者たちはどうか。心身を鍛錬するのか。稽古ごとをしているのか。これはあくまで個人の考えであり、ああしろ、こうしろ、という問題ではない。

 だが、ひとたび「弓のみち」にはいり、ひとつの「稽古ごと」として始めているうちに、しぜんと、これはただの稽古ごとではなかった、と思い、気づきはじめてくる。

 わたしのところでは、紀元二千年の年のはじめから、審査の時には、毎回かならず「射法訓」と「礼記 -射義-」を浄書(薄字で印刷したものを、鉛筆でなぞる)をさせている。弓道連盟では、昭和30年頃に、宇野要三郎範士が「射法訓」について講話をされている。これよりのち、講習会のはじめに、「射法訓」の唱和を取り入れている。

 わたしのところでは、これを審査のときに学科にとり入れた。効果はしっかりと果されている。知らず知らずの間に、「射法訓」の世界に踏みいっているのである。

 「射法訓」では、宇野先生が、おおきな、おおきな大宇宙のひろがりの世界に導いてくれている。

 弓道連盟の初代・四代の会長であられた宇野要三郎範士十段は、判事としての奉職中の師が紀州竹林派の岡内木(こだま)範士であり、この師から奥儀、同派の印可を授けられて、以来一貫して、同派を伝え、紀州藩士・吉見順正「射法訓」からの射の精神を、今日あるわたしたちにまで、伝えおよばせてきたおひとである。

 「射法訓」は、朗々と声を張りあげて唱えるがよい。 ― 射法は弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり ― から始まって、おわりまで、声にだして、まことに快よい。

 弓手三分の二、妻手三分の一の弓弦の押し引きがあって、ここで和合を示し、胸の中筋から、よろしく分かるるごとく・・・・・そして、鉄石相剋の火の如き離れ―(なんとも、和合の融和と離れ具合の妙味に、味わいは尽きない)そして、このあとに静寂がおとずれる。

 即ち、黎明のおお空に、白く輝く明けの明星、金星。西空には下弦の半月が、いまや没せんとしている。このなかに、われがあって、忽然忘我の悟りの身の心境を説いておられる。まさに、射道を行う身の忘我の境地、心境である。こうしたものを、かいま見、やがて伺い知るだけで、「弓」とは、ただ者ではないぞ。ということに、しだいに気がついてくる。

 これらは、見えて、見えないもの であり、知らぬ間の、鍛と錬に、生長していくものであろう。








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